神様の愛は、目には見えないけれども、確かに私たちを導き続けています。私自身の58年の人生を振り返ると、数え切れないほどの困難や迷いがありました。しかし、そのすべての瞬間で、神様は私を導き、最善の道へと進ませてくださいました。
クリスチャンとして歩んで20年以上が経ちますが、この間、信仰によって生きることが、私の人生を驚くばかりの恵みに満たしてくれました。もちろん、人間関係の中で困難が生じることもありました。しかし、聖書にはこう書かれています。
マタイ 10:14(Matthew 10:14)
「もし、あなたがたを受け入れず、あなたがたの言葉に耳を傾けない者がいるなら、その家や町を出るとき、足の塵を払い落としなさい。」
("If anyone will not welcome you or listen to your words, leave that home or town and shake the dust off your feet." Matthew 10:14)
この聖句は、愛し合うことが大切である一方で、必要以上に執着することなく、関係を手放すことも許されているということを示しています。クリスチャンはすべての人を愛することを神様から求められていますが、状況によっては「足の塵を払い落として」次の歩みへ進むことも必要なのです。
また、日本では「クリスチャンは金銭的な欲を持ってはいけない」という誤解もあります。しかし、聖書では「富そのものが悪」ではなく、「どのように用いるかが重要である」と教えています。
箴言 13:22(Proverbs 13:22)
「善人は子孫のために資産を残す。しかし、罪人の富は正しい者のために蓄えられる。」
正しく用いられた富は、人々を助け、次世代を支えるものとなるのです。私自身も、自分では気が乗らないことでも、神様の導きに従って行動したことで、結果として大きな実を結び、必要が満たされる経験を何度もしてきました。
こうした経験を通して、私は「私自身の心の王座を神様に明け渡す」ことの大切さを学びました。自分自身の心の王座を神様に明け渡し、完全に委ねること。それは簡単なことではありません。しかし、そうすることで神様の計画に従い、人生の歩みが驚くほどの恵みに満たされるのです。ロサンゼルスのキリスト教会で学んだこの教えは、今の私に最も大きな影響を与えています。自分の意思ではなく、神様の導きに従って生きることで、すべての出来事が最善へと向かっていくのです。
神様の愛のもとで、共に支え合い、助け合い、祈り合い、笑い合う。 そんな人生こそ、私が歩みたい道です。そして、その愛がさらに多くの人々へ届くことを願っています。
ヨハネ 4:19(1 John 4:19)
「私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。」
("We love because he first loved us.")
神様の愛は、私たちを生かし、導き、癒し、励ましてくださいます。
この愛を受け取った私たちは、今度はそれを広げ、分かち合う責任を持っています。日々神様の愛を思い出し、感謝しながら歩み続けていきたいです。