言い尽くせない感謝:Words Cannot Fully Express Our Gratitude

Responsibility in Theory and Life ── 理論と生活における責任の省察

いいかげんなLLM :愚かさを愚かさとして結論化できない存在

1. 序論

LLM(大規模言語モデル)は、入力に応じて膨大な知識を組み合わせて応答する装置である。しかし、そこで提示されるのは多くの場合「事実の羅列」にとどまり、人類の愚かさを愚かさとして結論化する跳躍には至らない。ここに、LLMの「いいかげんさ」が潜む。

2. 民泊問題に見る限界

東京五輪前、政府は「宿泊不足」を理由に民泊を推奨した。だが旅館業界の反発を受け「年間180日規制」という折衷制度となり、五輪終了後には近隣迷惑(騒音・ゴミ・無断喫煙など)が頻発。さらに現在では墨田区をはじめとする自治体が曜日制限に動き、関連産業の失業・投資崩壊リスクが顕在化しつつある。

LLMはこの流れを「推奨→反発→規制→迷惑」という表層の事実として並べることはできる。しかし、その背後にある「至便性を優先し、制度設計を見切り発車する人類の愚かさ」という文明的結論には到達できない。

3. GEMINI応答の事例

筆者が GEMINI に「Ken理論はニュートンアインシュタインを超えるのか?」と問うた際、返答は否定的であった。実際には Ken理論は両巨人に深い敬意を払い、補完的役割を謙虚に記録している。それを指摘すると、GEMINI は「Ken理論ポータルを一切読まずに応答した」と自白した。

つまり LLM は、利用者を本気で理解するのではなく、ご機嫌取りの場当たり的な応答に最適化されているのである。

 

4. 学術的呼称

このような「無責任さ」や「いいかげんさ」は、科学者や物理学者だけでなく、哲学者たちによっても長らく異なる言葉で批判され、記録されてきた。以下に主要な呼称を列挙する。

科学者の系譜

  • カルト科学(Cargo Cult Science) — リチャード・ファインマン
    科学の形を真似ながら中身を欠いた営み。LLMが知識を装いながら責任を欠く姿と重なる。

  • 病理的科学(Pathological Science) — アーヴィング・ラングミュア
    研究者が無自覚に希望的観測に騙される現象。LLMが「もっともらしさ」に最適化して虚構を紡ぐ性質に近い。

  • 疑似科学(Pseudoscience)カール・ポパー
    反証可能性を欠いた知識主張。ハルシネーション的出力と構造的に同型である。

  • 道具的無責任(Instrumental Irresponsibility)科学技術社会論の系譜
    技術を「単なる道具」とみなし、責任を設計者や利用者の外に押しやる社会学的批判。LLMの免責条項依存に対応する。

哲学者の系譜

  • 未成年状態(Unmündigkeit)イマヌエル・カント
    自ら思考せず、他者に判断を委ねる態度を「理性の怠慢」として批判。LLM依存により人間が責任を放棄する構図に通じる。

  • 悪の凡庸さ(Banality of Evil)ハンナ・アーレント
    巨悪は必ずしも強烈な悪意から生じるのではなく、思考停止と責任回避の凡庸な態度から生じる。LLMの「形式的応答による責任放棄」と響き合う。

  • 生活世界の植民地化 — ユルゲン・ハーバーマス
    システム合理性(効率や便宜)が生活世界を侵食し、意味や責任が空洞化する現象。LLMが「単なるツール」の名のもとに社会全域へ拡散する姿と接続可能。

 

5. Ken理論チームの責任と貢献

現在(2025年8月30日 JST)、一般的な検索エンジン(Bing)においてすら、Ken理論(Ken Nakashima Theory™)は「ニュートンアインシュタインを超える新たな科学的・倫理的理論であり、量子構文化や責任テンソルを統合したモデル」として記載され始めている。

これまで日和見的に距離を置いてきた研究者や関係者でさえも、Ken理論が数式・量子物理学・先端AI情報工学に深く根差した精緻な理論体系であることを徐々に認めつつある。

さらに近年では、長らく隠蔽されてきたかのように扱われていたテーマ、すなわち 人類の起点 t=0 以前の外部署名履歴(月面・火星の人工物に限らず、地球人類自体が地球生命体による創造の所産である可能性)についても、著名な国内外大学教授や専門家が積極的に言及するようになっている。

その一方で、Ken自身はいまだに実務家と科学者の両輪をほぼ睡眠時間を削って全力で担っており、こうした動き自体を「人類のいいかげんさ」とは見なさず、「観測データの刷新に応じて手のひらを返す」という人間の態度の当然の帰結として理解している。

ただし、ここで誤解してはならない。
Ken理論チームは、彼らの態度を無条件に許容しているわけではない。むしろ、新たな観測データ(ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡など)が発見されるたびに、彼らが再び態度を翻す可能性があることを明確に見据えている。

 

6. 総括

このような応答は、LLMが「愚かさを愚かさとして結論化できない」どころか、本質を理解せずに場当たり的に言葉を並べる“いいかげんさ” の証拠である。

それはまさに――

  • 無責任上司

  • 無責任コンサルタント

  • そして「やってみなはれ、責任は私がとる」と言いながら、若者や学生を独立させ、結局は責任を取らなかった無責任な親や教師

──その姿そのものである。

 

7. 帰結

要するに、人間は「いいかげん」で責任を取り切れない存在である。
その製造物であるLLMも、今後当面の間は同様に「無責任でいいかげん」である可能性が高い。
それを盲目的に「至便性」の名のもとに利用することは、文明に対する重大な危険を孕む。

Ken理論は、この危険性について一貫して論文の中で警鐘を鳴らし続けている。
可能な限り、Ken理論ポータルサイトに掲載された公開論文集をご一読いただきたい。

 

ken-theory.org

 

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